淀君について

今回は豊臣秀吉の側室、淀君について考えてみました。父親ほどの秀吉の心を奪った淀君は、思いどおりのことを存分にしたと言われています。側室という立場ではいましたがSM淀殿とも呼ばれるほどの強い権力を持っていました。

どんなに華麗な人生を送ったことでしょう。でも淀君はどれだけ秀吉を愛していたのだろうか。もちろん綺麗な女性だったのだろうと思いますが、やはりそれだけではない魅力を持っていたのだと思うのです。その魅力を大いに使って、手に入れた秀吉の側室という立場。

でも秀吉との恋愛はそんなに純粋だったのでしょうか。どうしても気になるところなのです。あははっ、私が気にしてどうにもならないわよね。秀吉までの武将でなくても、もっと若くて素敵な武将はたくさんいたのでは?やはり名誉と金ということなのでしょうか。

やはりすべてがすべてでないにしても、名を残すような武将に愛された女性は欲が先にある恋愛をしていた女性が多かったのかも知れませんよね。意外と名もない農村の農民や、町人の中に素敵な恋愛をした女性がたくさんいるのかもしれません。

名誉も欲も何もない恋。ここにこそ本当の恋愛が繰り広げられていたのでしょうか。やはり恋は欲から始まるものではないと思うのです。なにもないからこそ、本当の恋が見つかるのではないでしょうか。